中国語がしゃべれる
ようになった思い込み

堂々と上海に乗り込みました

しかし!
ニイハオから先は
何を言っているのか

まったく理解できないありさまでした


ゆっくりはっきりと
発音してくれるわけではなく
何度聞いてもわからない

 
上海事務所のスタッフは
すべて中国の人で

日本語のうまい
スタッフもいましたが

わざわざ通訳して
くれるわけではありません

                 
言葉がわからないストレスで
悶々とした日々を送ることになりました


上海に旅立つ前に
お世話になった
百貨店の外商部の人に


”もう若くないんだから、気をつけてよ”


と言われたことを思い出しました
この時すでに40歳でしたので


”中国語をろくに勉強したこともない
 中年男が上海へ来て、人生の選択を誤ったか!”


と自分を責めました


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ちょうどSARS騒動が
タイミング悪く発生
 
日本人も中国に
寄り付かなくなってしまいました


SARSの頃でも
日本語のわからないスタッフと

一緒に中国各地の
工場へ出張していました                                
国内の移動が
大幅に制限されていましたから
出張もたいへんでした

   
長江の中洲にある
ツォンミン島という
タオル工場の多い所へ行くとき

ブタの食肉検査用の
合格印を手に押される始末で
情けないなぁとおもいました

        
でも長江を渡るフェリーの風はやさしくて
悶々とした心を癒してくれました